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2001年9月 「Goal」2001年9月号

「山本昌邦さんのこと」

林哲司(作曲家)


作曲家を生業にしているせいかどうかわからないが、どうやらボクは何かを作り出す側の人間に興味がいってしまうようだ。サッカーでいえば、華々しくゴールを決めたストライカーは無論、言い知れぬ歓喜を与えてくれるのだが、それを演出したアシスト役やゲームメーカーはもっと好きだ。さらに言わせてもらえば、その試合を支配する監督、またそこで活躍する選手の能力を最大限に引き出すコーチに興味はつのってしまう。それはある意味でアーティストやアルバムをプロデュースする作業に共通する部分があるからかもしれない。

山本昌邦さん(現日本代表コーチ)に会ったのは、98W杯フランス大会観戦へ向かう機内だった。サッカー関係者も多数乗り合わせていて、たまたま後ろが西野監督、その隣が山本さんだった。音楽業界に於いても、初対面の人に自ら声をかけるようなどしたことのない自分が、山本さんに話しかけたのには訳があった。彼のコーチングに非常に興味があったからだ。

当時ボクは、サッカー専門誌に連載コラムをもっていて、いつか書いてみたいと思っていた内容がコーチングについてだった。そんな折り、あるスポーツ新聞で山本さんの記事を見た。そこに語られていた「スポーツ科学」「運動意識」とかいった語源が目に飛び込み、同時に当時コーチをされていた磐田の躍進ぶりと、中山雅史の脅威のハットトリックの連発の秘密を解き明かしたい欲望にかられていたのだ。

コーチングというと、とかく技術の論が先に立つ傾向があるが、大脳の「意識」がいかに運動機能に影響を及ぼすかを積極的に取り入れた具体的な育成法が日本には少ないと思う。

偉大なギタリストでもあがれば指が動かない。それと同様、練習ではゴールを量産するストライカーが試合になるとからっきしダメなのはなぜか?そこに必要なのは、蹴り方の技術ではなく、一瞬のシュートタイミングに身の固さをぬく「落ち着け」という意識ではないか。山本さんは、やはりそのへんのことも充分考慮された希有なコーチだった。

ピッチサイドの険しい表情とはうってかわった気さくな人柄から、帰国後何度か食事をする機会を得た。その間彼は、1チームのコーチから代表コーチという大役につかれた。

昨今のトルシエ日本の躍進ぶりはあえて言うまでもないが、あの個性的な(?)監督と選手を結ぶパイプ役として彼の存在は大きい。海外移籍をはじめ、もはやワイドショーさえもネタとして扱う代表選手だか、ここまでの成長の陰には、彼をはじめJリーグ各チームの強化スタッフ、さらにはトレセンなどを基調とする育成スタッフの努力があったことも、もっとクローズアップされてもいい。まあグチはこのへんにして、強い日本がW杯決勝トーナメントへ進むことを祈りましょう。問題はその後、山本さんが我がエスパルスの対戦チームの監督になることが悩みのタネだ。

Goal」2001年9月号 COLUMN BIG4より
発行所:株式会社エスパルス