[水を科学する] サッカー日本代表の知られざる「水戦略」(2)
じつは日本が置く水は、相手選手にも人気がある。表面に水滴が付いたペットボトルはいかにも冷たそうに見え「ねぇ、飲んで飲んで」と誘うのである。これに対して他国の水は、多くの場合、常温のままで冷えていない。だから自分のチームが置いた水には手を出さず、日本の水ばかりが減っていく。相手チームの水を飲んではいけない、という規則はないから仕方あるまい。もっとも、冷たい水を飲み慣れていない相手が、腹痛でもおこしてパフォーマンスを落としてくれれば、かえって都合がよいのであるが。
ここまで読むと、もう一つ疑問が出てきたと思う。酷暑のなかに放置しているのに、どうして日本の水は冷たいのか?と。それは大量の氷を詰めたクーラーボックスの中に、ペットボトルを詰めてキンキンに冷やしておいたものを置くからだ。あるいはペットボトルのまま凍らせておくこともある。試合時間を見計らっていったんは凍らせ、ボトルの中に、わずかに氷の芯が残る程度に解凍したものを並べておくのだ。これなら、相当の暑さの中でも冷たさを保てる。
ゲーム進行中はピッチの外に出られないのだが、ファウルを受けたりして倒れると、ドクターやマッサーがピッチに呼ばれる。そんなときもチャンスである。冷たいペットボトルを持っていくのである。それを選手に渡す。だから、たいしたことはないからと、バカ正直にすぐに立ち上がってはいけない。そこらあたりは、今の選手は心得たもので、簡単には立ち上がらないし、監督やコーチも「そういうときは、しばらく寝てろ」ぐらいの指示は事前にしている。
ところで、水を飲む量はどうなのであろうか?山本はこう語っていた。
「いっペんに大量に飲むのではなく、こまめに飲むようにしています。基本は身体の中の細胞にまで行き渡るように、常に満杯状態にしておく。例えぼホテルからバスに乗って30分ほどの時間をかけてスタジアムに向かう。シートに座ったままだけど、そういうときも発汗は続いているんですね。スタジアムについてウォームアップをすれば、さらに大量の水分が失われる。
人間はかなりの量の水分を失わないと反応しないんです。そこでようやく補給しようとするけど、肉体的にギリギリのとこで勝負しているスポーツ選手の場合、それでは遅すぎる。そこで、若いうちから危機管理の一環として、特に意識しなくてもこまめに水分補給をするように習慣つけさせるんです」
山本ら、日本のスタッフが水にこだわったのは、前述したように日本はアジア予選で酷暑のなかで戦う事が多いからだ。
「そういうトップレベルの争いでは、一瞬のスキルの差、集中力の欠如が結果につながるんです。暑さが原因の一部で、失点したりするのはもったいない。だから、選手がベストコンディションを出せるような状況を、どれだけ作ってあげられるか。それは非常に重要なことなんです。
ただこれは予選を戦い抜くためのもので、その期間内にベストパフォーマンスを出してくれればいい。それが僕らの仕事です。その一方では協会を中心に、ロングスパンで子供たちの育成や強化を図らないと、良い選手は育ってこないんです」
水を含めた環境リスクマネジメントは立派な戦略なのである。また、ここで紹介したのは環境リスクマネジメントのごく一部である。発汗など、まだまだ興味深い話はあるのだが、それは次の機会に譲る。
それにしても、サッカーを観戦していると、どうしても戦術やテクニックに目が奪われがちだ。しかし、見事に決まった戦術や目を見張るようなテクニックの背景には、さまざまなバックアップがあることを忘れてはなるまい。そして、戦術やテクニックだけでは、世界に勝てないことも。つまり、戦術とテクニックだけで世界のトップに立てるほどサッカーは甘くないのである。その証拠に、サッカー強国のほとんどは環境リスクマネジメントに熱心だ。フランスもブラジルも、そうだ。
ちなみにトルシエが代表監督に就任してからは水分補給を含む、環境リスクマネジメントを重要視していない。ほとんど無視している、と言ってもよい。トルシエ監督は、そういったことを好まないからだ。
ただ、トルシエ監督が好んで使う選手たちは、彼が来日する前のユース時代などの実体験を通して、すでに環境リスクマネジメントを学び、それが身に染みついている。例えば、中田英寿や川口らが猛暑の試合中に水分補給をしているシーンを見ていれば、そのことがよくわかる。こまめに水を飲み、首筋や太股に水をかけたりする。彼らは水分補拾の重要性や水の活用法をよく承知している。
それはユース代表や五輪代表などを通じて、覚えてきたことだ。
ともあれ、さまざまな工夫をして冷水を供給したり、その理論を選手たちに伝えてきた現場スタッフの努力が、将来の日本サッカーの発展につながっていくのは、たしかなことだ。
「ATHRA」2001年8月号(株式会社毎日コミュニケーションズ)掲載