日本のサッカーの歴史を変え続けていこう!
アトランタ五輪代表チームの母体となる、'92年ユース代表チーム時代から西野監督とともにチームを支えてきた山本コーチが語った五輪代表に贈るメッセージ
92年10月のアジアユースの準決勝で韓国に破れて、世界大会の出場権を手にすることができなかった。で、3位決定戦でUAEと闘う前に言ったんですよ。
「このチームはアトランタ五輪を目指すチームなんだ。アトランタ五輪は出場枠が3つある。この3位決定戦に勝って3位になるのは、すごく意味がある。だからこの試合はアトランタに向けての最初の1歩であり、準備のゲームなんだ。」と。
本来ならモチベーションが下がって当たり前のゲームだったけれど、次の目標に向かってやろうという気持ちで、3-0でUAEに勝ち、銅メダルを取った。その時、優勝がサウジアラビアで、韓国、日本という順位。その順番は違ったけれど、3つのチームがアトランタへ行くことになったんですよね。
コーチの仕事というのは、監督がイメージする、やろうとしているチーム作りであって、それになるべく近いような形で、選手を育成すること。試合までのスケジュールに合わせて、いいコンディションで、モチベーションでサッカーが出来るように、選手全員を使えるようにするのがコーチの仕事なんです。逆に監督の仕事というのは、そんな選手たちを競争させて、11人のスタメンを選ぶ。あるポジションに選手が二人いて、どちらを使うかという決断に迫られたり、選手とぶつからなければいけない場面もある。それが監督。ボクはよく選手と監督とのパイプ役を果たして・・・みたいに言われるけど、それが仕事なんですよ。
サッカーをやっていない時間の過ごし方
プロとしての自覚があの高いパフォーマンスにつながった。
長い選手だと3年半のつきあいですね。
3 年半前に比べれば、かなり成長したと思いますね。技術面、精神面、戦術の理解度…それ以外のサッカーをやっていない時間…トレーニングなり、試合なりで2 時間すごしたとして、それ以外の22時間の過ごし方も高校時代から比べると、非常に成長した。いいプレー、いいトレーニングをするために必要な栄養、休息の取りかた…そういう面での自己管理ができるからこそ、マレーシアでああいう高いパフォーマンスが出来たんだと思います。
代表チームで集まれる時間が限られているから、そういった普段の生活での自己管理能力のある選手が、代表にも残っているんだと思いますね。
チーム内の規律や約束やチームの士気に影響するようなことは指導するけど、それ以外の面では選手ひとりひとりの個人差もあるわけだから・・・。指導については難しいですね。
いつも接していると、今彼らが持っていることを全部出し切っているのか?そうでないかは分かってくるし、なぜ出せないのかもだいたい分析できる。で、体調なりモチベーションなりを上げるようないい準備をしてやることが、ボクらの仕事な訳だから。とは言っても体重が落ちたからと言って、ボクらが選手の口に食事を押し込むことも出来ないわけで(笑)。でもそのへん、やっぱり彼らはプロとしての自覚を持っているから、大丈夫ですけど。
モチベーションを上げるというのは、個人個人性格が違うから、難しいですね。それが一番気を使うところですよ。サッカーの悩みならいいけど、サッカーの悩みじゃないときもあったりするし…。でもまあそこまでのコドモはいないですけどね。
やっぱりJリーグでプロ選手としてやっているということは、大きいでしょう。いいプレーをすることが、自分の生活に跳ね返ってくるわけだし。グラウンドでいいパフォーマンスをすることが、プロとしていい選手なんですよ。ゲームの時にチームのためにいい仕事が出来なければ、いい選手とは言えない。彼らは勝つためにいい仕事をするから、ポジションがあるわけだし、代表に選ばれるんですよ。
彼らはやるときにはやるから、心配はしていない。アトランタで日本のサッカーのすごさをアピールしてほしい。
アトランタへ向けて、チームとしては3年。日本としては4年間をかけて、準備してきたという重みがあの準決勝にはあった。もしこれで負けてしまえば、もう終わりなんです。そういうなかにあって、彼らは緊張ではなくて、すごい集中していたと思いますね。でもそれは彼らにとっては、すごく財産になったでしょう。それは誰もが経験できるものではないので、その財産をアトランタだけでなく、次の代表、フランス、2002年に生かしてほしいですね。
サッカーは上には上があるんですよ。これがサッカーのおくの深さ。国内だけでは終わらないし、アジアがあって、その予選を勝たなければ、インターナショナルでは戦えない。上があれば、そこでやってみたいというのが、人間の心理だと思うし、どんな世界かなってみてみたいと思うでしょ?それは選手だけでなく、ボクらも同じで、彼らを通していい経験をさせてもらってる。この経験がフランスにつながれば、また違う世界が見られるわけだから。楽しくってしょうがない。常に上に行くから。下がっていくことはないから。
世界大会というのは、五輪もワールドカップもそうだけど、時差や気候との戦いもあって、普段日本でやるような環境では出来ない。でも日本を代表して戦うわけだから、そういう過酷な戦いのなかで、知れを乗り越えて、最高のパフォーマンスを見せて、世界に日本のサッカーは、こんなにすごいんだっていうのを見せてほしいですね。それを出来る能力をもった選手たちだから。またこう、まとまって上にいければいいなと思いますね。
ボクはあんまり心配してない。みんなが元気でいいコンディションで、いいモチベーションで、試合に臨むことが出来れば、必ずいい結果が出せる。彼らにいつも言っているのは、「日本のサッカーの歴史を、オレたちで変えよう」と。ユース時代彼らは世界大会にいけなかったけど、次のユースは行けた。オリンピック出場もそう。
そんな風に歴史を変えてきた。これからもずっと上を向いて、その歴史を変え続けていくことが、頂点に繋がることだから。そういう気持ちでやってほしい。
マレーシアから帰国して、知人や友人に「試合を涙を流しながら見ていた」なんて言われて。
そういう感動が生まれる試合を数多く出来ればいいですね。サッカーの魅力や厳しさをわかってもらって、サッカーが世界平和に役立つくらいになるといいなぁ。
今ユース代表の監督の仕事もあるんで、確かに忙しいけれど、楽しいですよ。夢が二倍。五輪代表、そしてユースと2002年ワールドカップの日本代表の柱となる世代を教えてられるというのは、すごいことですよ。ホント楽しくてしょうがない(笑)。
「未来はボクらの手のなか」1996年7月 日刊スポーツ出版社