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2002年5月 日経ビジネス 2002.5.6号掲載記事

―ひと烈伝

山本昌邦氏 [サッカー日本代表チームコーチ](1)

「赤鬼」も認めるプロのコーチ
日本サッカーの水先案内人として、トルシエ・ジャパンを支える。
自らが強化に力を注いだユース時代が、今やW杯の主戦力を成す。
W杯の重圧を受けるトルシエと選手の橋渡し役としての期待は大きい。

日本経済新聞社運動部記者 武智幸徳


サッカーにさして関心のない人は、「山本昌邦」という名前を聞いても、ピンとこないかもしれない。山本は、この5月31日に開催するサッカーのワールドカップ(W杯)に、共催国として出場する日本代表チームのコーチである。

サッカーの日本代表といえば、選手ではイタリアやオランダで活躍する中田英寿(パルマ)、小野伸二(フェイェノールト)らの名前がすぐに思いつくに違いない。スタッフに目を移すと、フランス人監督のフィリップ・トルシエの独壇場か。その監督の傍らで試合中に大声で日本語への通訳を務めるフローラン・ダバディーが案外、世間の認知度では2番手にくるのかもしれない。それ以外のスタッフとなるとなんとなく存在感は希薄で、山本もまた例外ではないようだ。

しかし、これまでのトルシエ・ジャパンの戦果を降り返る時、山本が果たしてきた役割の大きさはサッカー関係者なら広く認めるところである。「山本がいなければ、トルシエの成功はなかった」という声さえある。

山本の功績がほとんど表に出ないのは、トルシエが幕僚への取材に対して厳しい報道官制を敷いていることがあげられる。「チームはラボ(実験場)であり、情報は最高機密に属する。研究の途中経過をスタッフが外部に漏らすことが一般企業でありますか」と言うのがトルシエの持論で、メディアに伝えるのはすべて自分の口からという情報の一元化に執着してきた。

山本もまた「監督の方針に従うのがコーチの務め」と分をわきまえ、粛々と仕事をこなしてきた。その結果、メディアに露出する機会が多いトルシエばかりが、猛烈に働いているような印象が広まったようである。

噛み合わない歯車

トルシエと山本。監督とコーチとして一緒に仕事をはじめたのは1998年10月からだが、この2人の関係は当初、傍目にもぎくしゃくして見えた。

もともと日本サッカー協会には、外国人指導者を招くと、その下に必ず日本代表コーチをつける「伝統」がある。 68年メキシコ五輪銅メダルの土台を作ったデットマール・クラマーには岡野俊一郎(現日本サッカー協会会長)。Jリーグ誕生の勢いに乗ってW杯出場にあと一歩とこぎつけながら、「ドーハの悲劇」と呼ばれる最終戦の引き分けで涙を飲んだ、ハンス・オフトには清雲栄純(現Jリーグ2部・大宮アルディージャ・ゼネラルマネジャー)がついた。

こうした日本人コーチは、外国人監督と選手の間でクッションの役目を果たすと同時に、外国人監督の持つ先進のノウハウを吸収し、それを広く日本サッカー界に伝播する役割も期待されたのである。

山本の起用もまた然り。フランス人で、しかもアフリカでの指導経験が長いトルシエにとって、日本は全く未知の国。水先案内人の必要性は日本サッカー協会、トルシエ、双方とも感じていたはずである。

実際、その任に山本はうってつけの人材だった。ヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)での選手生活を29歳で終えた後、コーチやスカウトの経験を積んだ山本は、90年代に入ると日本サッカー協会に強化スタッフとして出向、特に力を注いだのがユース世代の強化だった。

サッカーは人間と同じで、一度身についた悪い癖を大人になってから矯正するのは難しい。正しい姿勢、ボールの受け方、パスの強弱など基本的なことは少年のうちにきっちり体で覚えさせておく必要がある。そうしたしつけは後々、プロとして大成していくうえでの土台にもなる。山本がユース育成にこだわった理由だった。

山本が日本ユース代表のコーチ、監督として指導に当たった選手は、今そのまま日本代表の主力を成している。ベスト8に進んだ95年世界ユース組にはイタリアに渡った中田のほか、松田直樹、奥大介(ともに横浜F・マリノス)、森岡隆三(清水エスパルス)が、97年世界ユース組には柳沢敦(鹿島アントラーズ)、中村俊輔(横浜F・マリノス)らがいる。西野朗監督(現ガンバ大阪監督)を補佐し、日本を28年ぶりに五輪出場に導いたアトランタ五輪組には川口能活(イングランド1部リーグ・ポーツマス)、伊東輝悦(清水)、服部年宏(磐田)ら。ジュビロ磐田のコーチ時代には中山雅史、名波浩、服部らとJリーグチャンピオンの美酒を飲み干している。

日本を代表する選手たちのプレーの特徴、短所、性格を知り尽くし、監督トルシエにそれを速習させるガイド役として、この上ないキャリアの持ち主―。山本の役回りは分かりやすく表現すれば、こんなところだろう。ところが、当初、山本とトルシエの歯車はなかなか噛み合わなかった。クラマーの母親に「日本の息子」とかわいがられた岡野。いまだに家族ぐるみの付き合いをしているオフトと清雲。そんな「甘い関係」に程遠かった。

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日経ビジネス 2002.5.6号掲載