2002.12.24
フィリップ・トルシエが監督として在任した1369日の間に日本代表は大きな進歩を遂げた。フランス・サッカー協会とのパイプは太くなり、世界チャンピオンであった同国代表と3度戦い、ブラジル、イタリア、スペインなど世界のトップ10とも試合を重ねられた。「世界」との距離を測る経験が数多くできたことはチームに非常に大きな財産になった。互いの私生活にまで踏み込んで付き合うことはなかったが、監督とコーチとしておのおのの職域を意識しながら、おおむね良好な関係を築いていたと思う。
日本代表での出来事を備忘録として残すことに悩みはもちろんあった。戦いの場における監督や選手の言動、振る舞いをコーチが明かすことは、少なくとも日本のサッカー界ではあまり例がないだろう。ワールドカップ(W杯)が終わって日も浅く、記憶も生々しい。それでも決心したのは、トルシエの在任中、スタッフは彼の許可がない限り取材を受けることを許されなかったからだ。ある意味でトルシエは情報を操作できる立場にあり、彼が何か発言するたびに(あるいは発言しないたびに)、「それはないだろう」と嘆息することがしばしばあった。W杯のトルコ戦についても既にトルシエは、あちこちのメディアで自分なりのロジックを駆使して敗北を説明している。私が恐れたのは、トルシエが語ることだけが日本代表の物語として流布することだった。
といって、私は「自分が記したことこそが真実だ」とはまったく思っていない。誤解を避けるため1冊の本に自分の考えを集約する方法をとったが、トルシエにはトルシエの偏りがあるように、自分の目で見、自分のフィルターを通して考えたことだから、私にも私の偏りがある。ただ、こうやって私なりの視点を提供することは、サッカーというゲームの単純さ複雑さ、チームという生き物の不思議について、人々が様々なことを思い巡らすことにつながると思ったのである。それは、何らかの形でこれからの日本サッカーに役立つのではないかと。最後に、これまでのサッカー一色の人生を支えてくれた皆さんに改めて御礼を述べたい。特に中学、高校、大学時代の恩師である黒石賢二さん、南谷光一先生、大沢英雄先生に。また社会人になってから公私共にお世話になりっ放しの荒田忠典・ジュビロ磐田前社長。ほかにも謝辞を述べたい方はたくさんいるが、とにかくサッカー界で良い仕事をすることが最大の恩返しとご理解頂ければと思う。
2002年7月10日
山本昌邦